天徳寺は江西山と号し妙心寺派に属し、本山を京都市花園妙心寺とする。
寺伝によると開創は遠く推古帝4年(596)に創建され天平年間(729〜49)には行基自作の聖観世音菩薩を安置した大伽藍があったという。興国2年(1341)河野通政が道後温泉の北、多幸山(現在の鷺谷)に再興し天台宗から臨済宗に改めた。
現在地に移されたのは慶長8年(1603)で初代城主・加藤嘉明の手によるものである。この時、大分県臼杵市の月桂寺より南源禅師を招き、山号も今の江西山にしたという。
その後、松山城主となった蒲生忠和、松平定行は寺領を寄進し保護に努めた。南源が京都妙心寺住職を長く務めたこともあり懶翁、蔵山など有名な僧が当寺住職となっている。
寺系図−本寺 甲斐恵林寺 快川国師 1502〜1582−臼杵市 月桂寺南化玄興 1538〜1604−湖南禅師−伊予天徳禪寺 南源禅師 1565〜1622−雲居禅師 仙台伊達家菩提寺 松島 瑞巌寺中興開山
なお、現在の本堂改築は亨保年間(1716〜36)のものである。又、境内地には伊予節などで有名な十六日桜(※松山市指定天然記念物)がある。
『西に来て 杖(つえ)笠(かさ)残(のこ)すこの里の 初花桜 見捨てかぬれば』
西行
江戸後期の天徳寺
桜の植林 |
無縁塚 |
天徳寺関連書物
天徳寺の歴史については、「伊予 天徳寺 千四百年の歴史」(著者:田中弘道)という書籍がございますので、こちらもお読みいただければと思います。
「中世禅宗における公案禅の研究」(著者:安藤 嘉則)
「東温史談」(東温史談会)